2020-01-01から1年間の記事一覧

こんな時、、、「文蔵の滝」

色々な現実にこころが揺れ動いている今、 植物の気で満たされている 「文蔵の滝」という空間に身を置く。 滝の「?」場で祈ると必ず願いが叶う。 「必」字の如く、こころと仏が糸で繋がる 「特別な場所」がここにある。 毎週土曜日滝で待っています。 電話 …

終わりがあれば、はじまりがある「文蔵の滝」

滝がある山林は、植物の宝庫である。 大輪の花を咲かせてくれた「シャクナゲ」にも さようならを言わなければならない。 終わりがあれば、はじまりがあると 花から学ぶ。 食用、薬用になる「ユキノシタ」の白い花が 揃ってこちらをみている様子が微笑ましい…

植物の力「文蔵の滝」

週の中ごろに降った雨の激しさが見えてくる。 山肌から崩れ落ちた土砂は道の半分を被い 川沿いも陥没寸前のところがある。 滝つぼの中も大量砂利が積もり 腰の高さまであった水は膝下になっている。 自然破壊が緩むと植物は 本来の力を発揮するものだと思い…

これからの人類は?「文蔵の滝」

雨が降り続く中滝行を終えると、 深い呼吸によって、 樹木の新芽から放たれた光線が、 こころを突き抜く感じがした。 焚火が出来ない時は、 家に帰って暖を取るのが一番だ。 雨の御蔭で読むのが苦手な新聞も、 ゆっくりページをめくることができる。 霊長学…

ママッコ「文蔵の滝」

毎週焚火に使う材木を頂く為作業所に向かう。 その山で珍しい植物を見つけた。 その名は「ハナイカダ(花筏)」別名ママッコ。 図鑑を開いてみると、ミズキ科、落葉低木 開花期は正に今五月である。 葉の上に花と実をつける変わった植物とある。 名も葉を筏…

「文蔵の滝」に行けなかったのは?

土曜日に家にいたのは何年ぶりだろう。 母の体調が悪く側にいることにしたのだ。 時間はたっぷりあるので地図を開いて、 「シュンラン」を見つけた山のルートを確認する。 周りには行ったことがある山、峠、滝と 次から次へと出てくる。 そのたびに脳の引出…

仙人のよぅに...「文蔵の滝」

いつもと違う家族だけの滝行となる。 行が終わると少し離れた山に登ることにした。 うっそうとした中をどんどん登って行く。 植物の種類が変わってくる。 どんどん登って行く。 風が頭と身体の温度を下げてくれる。 どんどん登って行く。 開けた所にでるとそ…

緑もいろいろ「文蔵の滝」

雨上がりに映える緑が大好きだ。 何種類もある緑色の植物の中を 水が脈々と流ていくのを感じられるからだ。 常緑広葉樹の「タブノキ、クスノキ」などは 紅をさしたような薄赤色の新芽が初々しい。 滝行を終え澄んだ空気のなかで食べる ワラビ、タケノコご飯…

あー無常「文蔵の滝」

未知のウイルスによって、 生と死を改めて意識する日々が続く。 ヒトなどの細胞の中で増殖しながら 絶えず変異しているウイルス。 何もかも流れ流れてとどまることはない。 「あー無常」。 橋を渡ると散らずにいる桜花と 何輪もの淡紅花をつけるシャクナゲの…

「文蔵の滝」に自生するものたち

滝に立つ桜の木は満開。 風と鳥たちの舞いで落ちてしまった花を 水に浮かべてみる。 桜の下で広く分布している「スミレ」。 日本に自生する仲間は五十種を超えるらしい そのなかの一種である「タチツボスミレ」の群生たちだ。 こちらに自生するのは「ゲンゲ…

春の舞台に立つ植物達「文蔵の滝」

「山桜」が晴れ舞台に立つ春が来た。 早咲き、遅咲きと時間差によって 山々の緑に囲まれて主役を演じる。 「滝の桜」も今年は早々と咲いた。 年々花の数は少なくなってきているが 年を重ねてきたものだけがもつ 深い春の息吹を感じさせる舞台となる。 先に舞…

開き直れる「文蔵の滝」

じたばたしてもどうしょうもない 目にみえないものが迫ってきていると こころが動揺する。 生きているなかで必ず起こりうること 避けられないことがでてくると わたしは開き直る。 「私にとって開き直るとは、 強い気持ちで何事も受け止められること」 それ…

雨の日の贈り物「文蔵の滝」

雨が降り続いている。 だから、焚火はできない。 水も多く冷たさも増す滝行日となった。 赤ちゃんの時から滝にきている 男の子とお話しする機会に恵まれた。 いろいろなことを質問してくれる。 お父さんお母さんが喧嘩するが 私達にも喧嘩することがある?と…

今進攻していること「文蔵の滝」

好きな椿の花。 満開のアセビとタンポポの白い花。 頭上では、小鳥たちが全身を振るわせて 発している警戒の声が響き渡る。 巣作りがはじまっているのだろうか? 啓蟄を過ぎると必ず虫が姿を現す。 だが、こんな環境が続く保証がないことを いま進攻してきて…

新型の病「文蔵の滝」

二月も終わりである。 滝の水は曇り空も相まって 思った以上に冷たく感じられる。 今地球では新型という病がはびこり 無力な人間が右往左往している。 「何故なんだろう」? それは自己の「利益、快楽、幸」を 追い求める余り地球の迷惑を 省みなかったから…

風と炎と「文蔵の滝」

今にも泣きだしそうな空である。 滝から上がり焚火の前に来ると、 待ちくたびれたとばかりに 雨が降りだしてきた。 次第に強くなる風の流が 右から左へと大木に移り ついに焚火のところにやってくる。 オレンジの炎を吹上げる風は 自然の「ふいご」となる。 …

元気の根底「文蔵の滝」

今日も我が母九十一歳は滝にやってきた。 八十五歳まで滝行を続けたが、 今は、焚火の番をしてくれている。 その母の腕の中には無垢なみどりごが 愛らしい手を動かし口元からは 理解不可能な言葉を発している。 現代新型肺炎の不安が増している中で この空間…

本当とはなにか?「文蔵の滝」 

「ある記事から」ーそれは、 目に入ってくる視覚情報のうち脳に届くのは 3パーセント後の97パーセントは脳が 作り上げたものだというのだ。 それが本当であれば見ているひとの数だけ 世界観があることになる。 友人が話してくれた立山連峰の美しさも ここ…

魅力は感じる事から「文蔵の滝」

滝行の仲間が、亡くなられた伯父さんに 最後のお別れをするため富山に行く。 行を終えてからいくのだが その熱心さはどこからくるのだろうか? この膨大な滝のエネルギーは 不思議な力で人を引き付けるからだろう。 独自の体験もできる「文蔵の滝」は 来る人…

複雑な思い「文蔵の滝」

仲間と口論してから一週間が経つ。 今の気持ちを言葉にあらわすと、 樹から緑の葉が一枚一枚色を失って 行くような感じだ。 そんな出来事があっても自然は、 変わることなく優しい。 大寒なのにこの暖かさ。 雪が降り積もり氷柱がある中でも 耐寒して滝行に…

大声で「文蔵の滝」もびっくり

今日は日曜日、朝から鰹のだしをとっている。 次から次と出る「あく」をすくい取り 火をとめて鰹が沈んでから漉す 汁のすみぐあい、味は如何に・・・。 昨日、自然の中で大声を張り上げて その場の空気を濁らせてしまった。 日頃のうっぷんが爆発したのだか…

平常心であり続けるために「文蔵の滝」

こんなに色々な種類のお餅を食べたお正月はない。 草餅、海老餅、豆餅、ぼろ餅、お雑煮とおぜんざいは もちろん白餅を入れて食する。 美味しいと感じることは、身体と気持ちがほっこりするのだと あらためて食欲の奥深さを思う。 回りは寝正月ときめこんだ人…